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マサリク大学(チェコ)サマースクール

  • 留学期間:2014年6月22日~7月12日
  • 学部等:人文社会科学部 社会学科

『マサリク大学サマースクールに参加して』
 マサリク大学サマースクールのお知らせを見つけたその日は、締め切りが翌日に迫っていることを知ってもなお、多くの魅力的な事柄に心が躍ったものだった。今までのホームステイ等の経験の中では最長となる三週間であることに加え、初めて英語圏ではない国に行けること、プログラムの内容が「東欧の変遷」という私の興味ある分野だったこと、さらには毎週末近隣諸都市への旅行も含まれているということなど。英語を学びに学校へ行くのでなく、英語を生きる術として用い、英語圏でない国でマイノリティとして生活してみたい。多民族化は進んでいるものの、移民受け入れに消極的な日本にいては分からない陸続きの国の歴史の一端に触れてみたい。文化人類学を専攻する者として、そのような憧れを抱いて参加を決意した。
 本来ならば、留学に当たり、英語の勉強はもちろん、該当分野の勉強もしっかり行なっていくべきであることは重々承知である。しかしながら、出発三週間前近くになっても授業のテキストがアップされなかったり、フィールドワーク実習という一週間に及ぶ宿泊調査に追われていたり、慌ただしい日々を過ごしていた私は英語の勉強はほぼ出来ず、プリントアウトした膨大な量のテキスト(200枚ぐらい?)は3分の1程度しか読んでいない有り様だった。もっとも読んでこそいたが、理解するには不十分であった。うちのめされるのは覚悟の上だった。
 日本人のいないチェコでの生活はたった三週間といえどもハードなことが多かった。例えば、寮の部屋の鍵は開けにくい(コツをつかむのに一週間は要した)、洗濯機の説明書はチェコ語とロシア語だけ(おまけに2台しかない上に1台故障した)、等々。何より困ったのは授業であった。まず、授業でテキストは使わない。読んでいて当たり前で、その知識も身につけているのが当たり前、というところからのスタートなのである。さらに言えば、歴史・法律・経済・政治など幅広い分野を扱ったのだが、それらに対してある程度の知識を持ち合わせていないといけない。クラスメイト達――なぜか11人中9人がオーストラリア人で、法学部生だった――は同じ20代と思えないほどよく自国のことを理解していた。日本の大学の講義とはまったく異なり、気になることがあれば誰彼構わず意見を言う。意見を求められればそれに返し、さらにそこから議論は盛り上がる。日常会話はまだ何とかなるものの、私は英語で日本情勢を語れるほど知らなかったし、英単語も思い浮かばなかった。また、授業内容をほとんど理解できていなかったから、何が目の前で論じられているのか分からなかったし、何を尋ねたらよいかもわからなかった。一日に一回、手を挙げることが出来たらそれは上出来だった。テストも想像以上に難しく、空欄は埋めても結果は惨憺たるものであった。最終グループプレゼンもメンバーの知識の豊富さ・語りの展開の上手さに尊敬の念がこみ上げ、同時に情けなくもなった。30分のプレゼンで、私が担当できたのはたったの5分だった。日本語なら言いたいこと、言えることは多くある内容だったゆえ、悔しくて歯がゆかった。
 帰国後、多くの周りの人に「チェコ、どうだった?」と尋ねられた。そのたびに私は見たもの食べたもの、そして週末の近隣国の旅の思い出を笑顔で語り(良い思い出だってあるのだ。チェコスロバキアで発展した靴の歴史やロマについて学べたこと、ナポレオンの三帝会戦の地やホロコースト記念館や冷戦下のシェルターに行ったこと、そして何と言っても大好きなパンやヨーグルトが安価で手に入り、おいしい食事とビールに囲まれていたことはぜひとも多くの人に伝えたい)、「たくさん刺激を受けてきたよ!」という。事実、そうであるのだ。彼らの姿は学生のあるべき姿だと思った。自分がそうでないのは、日本で受ける大学の授業だけでなく自分に問題があるからだと感じた。なぜなら大学の授業、特に講義において私はいつしか出席し板書し試験に臨むことだけに甘んじていたのではないかと振り返ることが出来たのだから。それからクラスメイト達はたいそう優しく、私が「この単語はどういう意味?」「教授が言っていたのはつまりこういうこと?」「あなたは~~と言っていたけれど、それってどういうことなの?」「集合時間は13時半だよね?」等々、事あるごとに尋ね聞けばいつでも丁寧に教えてくれたし、ゆっくり話してくれる人さえいた。プレゼンの後、「モネ、君の発表は良いけれど、もっと話す部分が多ければ良かったな。」と教授に言われて落ち込む私のところに駆け寄って、「よかったわよ、モネ!あなた堂々としていたしびっくりしちゃった!」「頑張ったね!英語力とってもあがったと思うよ!」と褒めてくれる人もいた。私は三週間で急成長を遂げたわけではない。授業で得た知識を日本語で周りに伝えることすらできず、「結局サマースクールの授業では何を学んだの?」と問われたら正直答えに窮する。それでも、何も得なかったわけではないのだ。無知で無力な自分を何度も何度も見ることになったし、それはもう認めざるを得ないものだと体感した。そして、今回得たことを生かすならば、それを誰かに伝え、もう過去となったこの経験を意味あるものとして次につなげてゆかねばならない。いつが次で、何が次になるのかは分からない。それでも尊いものを見つけることが出来たことは誇りに思いたい。
 最後に、このようなプログラムを用意してくださったマサリク大学と静岡大学の関係者の皆様、ならびに参加を快く認めてくださった文化人類学コースの先生方と家族に深く感謝を申し上げたい。ありがとうございました。

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