静岡大学国際連携推進機構

在学生
の方へ

留学プログラム

夏季短期留学

ネブラスカ大学オマハ校(アメリカ)

  • 留学期間:2014年8月7日~29日
  • 学部等:人文社会科学部・人文学部・教育学部・理学部・農学部・情報学部・工学部

人文社会科学部 2年 水間啓介

「もう一度外国に行きたい」そう考えるようになったのは、静大の入学を決めたときであった。高校の修学旅行でオーストラリアを訪れた。そこで現地の学生との交流があったものの全く聞き取れず、悔しい思いもした。そのため今回はそのリベンジでもあった。自分のホストマザーは車いすに乗った女性であり、初めて会ったときは少し不安を感じた。しかし彼女は明るくとても親切であった。三週間のアメリカでの生活を通じて、多くの日本とアメリカの文化の違いを感じ、アメリカの良さはもちろん日本の良さも再認識することができた。今回の留学では、武先生をはじめ多くのアメリカのConversation partner などのおかげで三週間という短い期間ではあったが普通の旅行ではできない、多くの素晴らしい経験ができたと思う。こうした経験を今後の生活に少しでも生かしていきたい。

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人文学部経済学科 4年 佐藤良樹

 私は、一度も海外を訪れたことはなく、日常で英語を使う機会もほとんどありませんでしたが、以前から海外で生活してみたいと思っていました。学生のうちにしかホームステイをするチャンスが無いのではないかと薄々感じてはいましたが、なかなか海外に行くことができず、今しかないと思い、このプログラムに参加することを決意しました。
 出発当日、アメリカへ向かう機内では、プログラムに参加するみんなとは離れた席に座り、周りは皆外国人で緊張していました。そんな中、いきなり隣の人に話しかけられ、案の定うまく応えることができず、さっそく落ち込みました。こんなこともありながら、アメリカでの生活が始まりました。空港を出ると、今までテレビでしか見たことのない景色ばかりが飛び込んできて、何もかもが新鮮でした。ホストファミリーの家に着き、玄関で靴を脱ぐ必要がないことに気づいたとき、海外に来たんだと実感しました。
 私が渡航前に想像していた海外のイメージとOmahaの街は全く異なり、とてもいい場所でした。夜になると嵐のような天気になるときもありましたが、自然に囲まれ、有名な動物園があり、様々な国の人々が暮らしている都会過ぎないいい街だと実感しました。実際に行ってみないと分からないようなアメリカの現状がたくさんあり、それがOmahaで体験できたことがよかったです。
 また、UNOの設備の充実さに驚きました。ボルダリング、筋トレマシーンやプールなどが使用できる施設があり、電光掲示板付きのフットボールグランド、時計台というように普段の大学生活のでは味わえない環境で学校生活を楽しむことができました。大学の授業では、もちろん英語で行うため、集中していないと何を言っているのか理解できないので、普段受けている授業より何倍も集中して臨むことができました。指導してくれた先生の専門である日本の文化についての授業を受けさせてもらった時、160分授業だったのにも関わらず、集中していたこともあって一睡もしなかった自分に正直驚きました。また、conversation partnerとの会話では、伝えたいことがうまく英語で伝えられず、苦労しましたが、相手も日本に興味を持っている人ばかりで、アメリカ人から見た日本の印象などを知ることができ、私たちが気付かない日本の良さを再確認することができました。日本人が外国語を身につけるためには、積極性がとても大切だとconversation partnerとの会話で実感しました。
 このプログラムには1週間サウスダコタ・ネブラスカを横断するツアーがありました。そこでは、日本では絶対に体験できないアメリカの自然を満喫することができました。バスでの移動時間が長い時や朝早くから移動するときもあり大変なこともありましたが、みんなと食事を作ったり、人生ゲームをしたりすることで、インターネットがつながらない環境の中でも充実した日々を過ごすことができました。また、ツアー中私は誕生日を迎え、みんなが祝ってくれました。Niobraraの方々に迷惑をかけることとなってしまったのですが、良い意味でも悪い意味でも一生の思い出になりました。
 そして、ホストファミリーにはあらゆる場面でお世話になりました。忙しい中、学校への送迎や毎日の食事の準備などとても親切にしてくれました。ほぼ毎朝出てくるホストマザー特製のズッキーニブレッドとバナナブレッドはとてもおいしかったです。休みの日には川に連れて行ってもらい、釣りやチュービンに乗って川下りをしたり、ボールパークに野球を見に行ったりといろいろな場所へ行きました。また、同じ家に住んでいるサウジアラビア人の留学生と映画を観に行き、サウジアラビアで人気の日本のアニメやテレビ番組について会話をしました。日本の文化は様々な国で受け入れられていることを実感し、うれしくなると同時に驚きました。
 一か月弱という短い期間ではあったものの、アメリカでの生活はとてもいい経験になりました。言葉が不自由なく生活できるということがどれだけ恵まれているのかということを身を持って体感することができました。私がアメリカに行く前のイメージと実際は異なるように、自分の目で見てみないと分からないことは多いです。日本では絶対に体験できないようなことでも、海外ではたくさん体験できます。日本での常識が通用しないこともあるため戸惑うこともありましたが、共通点も多くありました。帰国して日本での住みやすさを実感しましたが、想像していたよりも海外で生活するのも良いなと感じました。
 限られた期間ではあったものの、充実した毎日を過ごすことができました。プログラムに参加した仲間、UNOの学生、職員の方、ホストファミリー、武先生、ユーリック先生、国際交流課の方など、プログラムに関わっていただいたみなさまに感謝したいと思います。

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教育学部 2年 石井来依

今回の夏季短期プログラムでは、学校で学んだり、旅行をしたり、観光に行ったり、三週間と言う短い期間の間にたくさんの予定が組み込まれていました。授業では毎回短いスピーチをみんなの前で発表したり、現地の学生と会話する時間が設けられました。授業後には一緒にご飯をたべたり、運動をして遊んだことがすごく楽しかったです。二週間目に行ったサウスダコタ州への旅行では、見たことの無いすばらしい景色をたくさん見てたくさん体験することができて本当にここへ来て良かったと思うことが出来ました。私はたった三週間しか留学の期間は無かったけれど、もっと長期間留学をしてもっと色んなことを感じたいと感じました。このプログラムを通して得たものがたくさんありました。後悔の無いように、チャンスを生かして自分を高めていくことの大切さを学べてよかったです。

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教育学部 2年 垣内ほのか

わたしは、今回の留学でとてもたくさんの体験がてきて本当によかったと思います。まず、ホームステイです。他人、しかも他の人の家に3週間も泊まるのははじめてだったので、最初は驚きばかりでした。
まず、家に地下があることにはビックリしました。アメリカでは竜巻が多いのでどこのうちにもあるのだと聞かされて納得しました。あと、テレビチャンネルの多さに、迷ってしまいました。学校では、日本に理解のある先生が授業してくれたのでとてもわかりやすくおもしろい授業でした。分からないことはすぐにインターネットで調べ、スクリーンに写してくれるので、みんなが理解できる授業でした。convasartion partnerは、としが近いので話が好きな映画や歌手の話をしました。日本に興味がある人ばかりなので日本のこともよくしっていて、びっくりしました。授業の後はハイパーという学校のジムみたいなところで、みんなでバレーやバスケをしました。スポーツをすることでより仲が深まったと思います。横断ツアーでは初めてづくしのツアーでした。まず、馬に乗ったのはとても楽しかったです。馬に乗って1時間くらい散歩しました。予想以上に大きくて驚きました。コテージに泊まった時は、jeepにのって山を登ったり、水深4メートルのプールにはいったり、カヤックをしたりして、夜はBBQをしました。アメリカでしかできない体験がたくさんで本当にたのしかったです。わたしは、誕生日を留学中に迎えたのですが、ホストファミリーが映画に連れていってくれました。いまでも日本公開より先にガーディアンズオブザギャラクシーをしたのは自慢です。この3週間は一生忘れることのできない思い出です。

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教育学部 2年 望月千尋

 私にとってこの三週間は、これまで過ごしてきた中で最も充実した三週間であったといっても過言ではない。ホームステイをしながら学校に通うという貴重な経験、オマハでの生活をともにした仲間たちとの横断ツアー、UNOのconversation partnerたちとの交流。どれも日本では、普段の生活では決して経験できないものであった。
 特に印象に残っているのが、ホストファミリーの少女との思い出である。私は子どもが好きで、小学校の教諭を目指している。そこで、海外の教育との比較という異なる視点が日本の教育を見つめ直す一歩につながるのではないかと思い、日本と海外の教育の違いに興味を持ち 今回の短期留学プログラムに参加することを決めた。
 彼女は小学一年生で、 可愛くて、綺麗で、ときに頼りがいのある素敵な子であった。しかし彼女は恥ずかしがり屋で、知らない人に対しては心を開かず、彼女が私に懐いてくれたのは二日目の夜からであった。私が動物園で「自分用に」と購入したペンギンのぬいぐるみをひどく気に入った彼女は、あらゆる手で自分のものにしようと試みていた。「欲しい」と言われたときから私の中で彼女にプレゼントすることは決めていたが、楽しい攻防戦は最終日まで続いた。彼女は、アメリカの子ども向けのボードゲームやカードゲームの遊び方を教えてくれた。それらはどれもよく考えられていて、楽しみながら英語を学ぶことができるため 日本の英語教育教材として取り入れるのに適していると感じた。そんなことを考えていると、彼女は見え見えのイカサマで私を欺こうとしていたので少し笑ってしまった。私が日本から持っていったお土産の塗り絵と色鉛筆を使って一緒に塗り絵を楽しんだり、私のカメラを勝手に使用して撮影会が始まったり、私は何だか自分に妹ができたようで毎日がとても楽しかった。彼女には四ヶ月の弟がいて、お姉さんらしい一面も見せてくれたが やはりそこは小学一年生。まだまだ甘えたい時期で何かとホストファミリーを困らせていたが、彼女は皆に愛されていた。
 オマハには子どもが遊べる場所が多くあった。家の近くにある公園や、オマハチルドレンズミュージアムでは、初対面の子どもたちと接する機会が多くあった。彼らは、自分たちとは国籍も違う私とすぐに打ち解けて 遊びの仲間に入れてくれた。日本にも社交性に優れた子どもや積極的な子どもはいるが、アメリカの子どもの積極性は“個性”というより“国民性”であるように感じた。彼らにとっては感情を前面に押し出すことが普通であり、教育に関する面だけでなく それがアメリカ人の日々の積極性につながっているのではないかと考える。幼い頃の生活環境がいかに人格の形成に影響を与えるか、改めて考える良い機会であった。
 そして、このプログラムを共に乗り切った静岡キャンパス、浜松キャンパスの仲間たちとの出会いに感謝したい。留学中、彼らが会話の中で積極的に英語を用いたり、他者との交流を大切にしたりする姿勢から良い刺激を受けた。個々の英語力に差はあれど、それを感じさせないほどに皆が「英語」を楽しんでいたように感じる。これまで私にとって英語は試験科目のうちの一つという認識が強かったが、現在ではコミュニケーションのツールとして英語を身に付けたいと考えるようになった。また、これから英語を学ぶ子どもたちにも、是非このような認識を持ち英語学習に取り組んで欲しいと強く感じた。日本の学校教育の中でそれをどのように可能にしていくべきか、今後の課題が明らかになってきた。
 大学を卒業し、社会に出た後で海外留学をするのはとても困難であると考える。時間に余裕があり、物事を柔軟に考え吸収できる今だからこそ 三週間というとても短い期間ではあったが留学を決意した価値は十分にあったと言える。

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教育学部 2年 横畠あかね

 私がこの夏季短期プログラムに応募した理由は、自分の英語がどのくらい通用するのかを知り、それを伸ばしたいと思ったからです。サークルや学外で英語を喋る機会はいくらかありましたが、英語浸しの毎日を体験したいと思っていました。しかし海外へ行くのが初めてだったこともあり、一人で旅行へ行くことは不安だったので、大学が英語の授業や旅行の日程を立ててサポートをしてくれるこのプログラムは私にとってとても理想的なのもだと思いました。
 このプログラムで私が得たものは、言葉にできないくらい素晴らしいものでした。まず一つに、最初の目標であった英語力です。3週間の間、周りから聞こえてくる音の全てが英語という生活を送り、自分の変化を手に取って感じることができました。最初ネブラスカに着いたとき、耳からはわけのわからない言葉が聞こえてきて理解できず、不快感のような落ち着きのない気持ちを感じたことを覚えています。ホストと話すときにも相手が何を言っているのか聞き取れず、何度も聞き直したり、結局あやふやな理解のまま会話が終わったりすることが何度もありました。しかしそれでも積極的に英語を喋ろうと挑戦し続けていると、少しずつ耳が慣れてきました。プログラムの終わりごろには、周りから聞こえてくる英語も不快に思わなくなったし、ちょっとした感情を表す時に勝手に英語が出てくるようになり、自分でもびっくりしました。
 次には色んな人と話すことができたことが挙げられます。英語を勉強することが主な目的でしたが、英語を話す中でこれまで自分には無かった考えを聞くことができました。英語を使って、お互いの考えを共有し、議論を深めていくことはとても難しかったのですが、同時にとてもおもしろいものでした。また、このような会話を通して、自分の知らないところにはこんなに自分と違う考えを持っている人がたくさんいることを身をもって知り、もっと他の外国にも行って、もっといろんな人としゃべってみたい、と思うようになり、モチベーションを上げるきっかけにもなりました。
 得たものすべてはとても書ききれませんが、終わって言えることはとにかく楽しかった、ということです。毎日新しい人と出会い喋って、毎日新しいものを見て、本当に刺激的で中身が濃い3週間を、最高の仲間と過ごすことができました。私のこのプログラムへの参加目的は上記のとおりですが、目的を達成する過程で得た付加価値のほうがはるかに自分にとって価値のあるものだったと思います。
 参加して後悔は絶対にしないプログラムだと思います。
プログラムに関わってくれた先生方やサポーター、何より今回の夏季短ネブラスカメンバー、本当にありがとうございました!

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理学部 1年 佐野美桜

夏季短期留学で学んだこと

 今まで私は中学・高校の授業のために英語を勉強してきました。しかし、英語を勉強しても実際に使う場が無く、自分が学んできた英語が本当に役に立つのか疑問に思っていました。英語力に自信が無かったこともあり、留学生支援や語学研修なども自分には関係のないものだと思っていましたが、機会があれば実際に英語圏に行って、実際に英語を使ってみたいとも思っていました。そんな中、静岡大学には夏季短期留学の制度があることを知りました。TOEICやTOFELのスコアを必要とせず、一年生でも参加できることと、夏休みを利用して気軽に行けることから参加を決意しました。もう1年英語の勉強をしてから来年参加することも考えましたが、英語に対するモチベーションを上げるなら早い方が良いと思い、1年生の夏に行きました。カナダとアメリカで迷いましたが、オマハが静岡市と姉妹都市であることに興味を持ち、アメリカのほうに参加を決めました。
 授業の期間は毎日9時から11時までがJulian先生の授業で、11時から12時までがconversationの時間でした。Julian先生の授業では、自分のことや前日のホームステイ先での出来事をひとりずつ発表し、残りの時間はアメリカ英語のスラングやネブラスカについて学びました。日本では自分で考えて英語で発表する授業がほとんどなかったため、はじめは緊張しました。その後のconversation timeでは、私たち1人~2人にひとりずつUNOの学生さんがついてくださり、英語でおしゃべりをしました。日米の学校の違いについて話した日もあれば、地球温暖化の原因について語った日もあり、毎回楽しかったです。私はこの時間が好きでした。授業の発表で詰まってしまったことや、会話をうまくつなげられなくて悔しい思いをしたこともありましたが、Julian先生の授業とconversation timeの両方があったからこそ、毎日の授業を楽しめたと思います。授業が終わった後はカフェテリアに移動し、みんなで昼食を食べました。私の場合、昼食代は1日約5~6ドルになりました。カフェテリアではクレジットカードが使えるので、所持金にあわせて上手に使うと良いと思います。お昼ご飯を食べ終わると、ホストファミリーのお迎えが来るまで自由時間なので、ハイパーという体育施設でバスケやバレー、バドミントンをして遊びました。時にはconversation partnerの学生さんだけでなく、ハイパーに来た他のUNOの学生さんも交えて試合をしました。スポーツは国境を超えると実感しました。ハイパーの体育館は土足で入れ、体育館シューズのようなものは必要ないことにも驚きました。
 また、アメリカ滞在中、携帯電話は機内モードにして利用していましたが、UNOはフリーのWi-Fiが通っているので、学内でメンバー同士の連絡にLINEなどを使うこともできました。
 私はホームステイ先にすごく恵まれていたと思います。ホームステイ先は横畠さんと同じで、横畠さんにはよく相談に乗ってもらったりと、いろいろとお世話になりました。ホストマザーのエレンもとても優しかったです。彼女は多くの留学生を受け入れており、私たちの滞在中にも、広島から来たアイオワ州の大学に通う学生さんと、オマーンから来たUNOの学生さん、中国から来たUNOの学生さんが入れ替わりで滞在していました。オマーンから来た女の子と話すときには、受験勉強で覚えた宗教や歴史に関する英単語が役に立ち、今までしてきた勉強は無駄じゃなかったと実感しました。中国から来た女の子に「よろしくね」とお辞儀をされたときには、日本と中国の文化の近さを感じました。(アメリカでは基本的に握手です。日本人はペコペコしていると笑われたりします。)世界のいろいろな地域に友達ができることで、留学に行く前よりも世界がぐっと身近になったように感じました。
 2週目はサウスダコタ旅行でした。1週間かけてネブラスカ州とサウスダコタ州を横断の人たちのことを扱っており、この地域はネイティブアメリカンの神聖な土地を西洋の人たちが開拓して今のようなネブラスカ州やサウスダコタ州になったのだということを実感しました。サウスダコタ旅行の一週間は楽しくてあっという間でした。道路の広さ、どこまでも続くとうもろこし畑、そして平らな土地には驚き、日本の森林資源の豊かさを改めて感じました。1週間一緒に回ってくれたバスドライバーのアーニーもとても面白い人でした。私は初め、彼のアメリカンジョークがわかりませんでした。だけど1週間を共に過ごすうちに、彼の言っていることがだんだんとわかるようになり、ジョークだ!と言えた時は嬉しかったです。また、サウスダコタまでの道のりでは、たくさんの動物を見ることができました。プレーリードックやバッファロー、シカやヒツジが本当にかわいかったです。私は旅の途中で哺乳類の図鑑を買いましたが、正解でした。2日目のフォートロビンソンでは流れ星が見えました。星空がすごく綺麗でした。はじめに日程を知ったときは、一週間も授業から離れて英語力が落ちないか心配でしたが、むしろアーニーと話したり現地の人と話したり、教室では出来ないような体験がいろいろできて良かったです。特に心に残っているのは、6日目に行った乗馬での出来事です。私が一番前を歩いていると、案内をしていたお姉さんに英語で話しかけられましたが、私は咄嗟に答えられませんでした。そうしたらお姉さんに、あなたは英語がわからないのね!と笑われました。せめてもう一度リピートしてくれたら、私が答えるまでもう少し待ってくれたら、と思ったら悔しかったです。UNOの学生さんや先生方が私たちにいかに聞き取りやすく話してくれ、返事をゆっくりと待ってくれているのか、ということもそのときわかりました。また最終日に行った有機栽培の農場も印象に残っています。私はGMO(遺伝子組換え)に興味があり、アメリカはGMOの発展している国だという印象を持っていました。しかし、遺伝子組換えと対極にある有機農場を見学させてもらい、話を聞いたことで、アメリカの人たちみんなが遺伝子組換えの技術を受け入れているわけではないことを知りました。日本やヨーロッパに輸出する作物にはGMの表示が義務付けられていますが、アメリカ国内で流通している分には表示が義務付けられていないため、それに不満を持つ国民もいることを知り、国内で発展していることと国民に受け入れられていることは必ずしも一致していないのだと思いました。この農場で学んだことや、乗馬での出来事も含め、サウスダコタ旅行に行けて良かったと思っています。毎日が楽しくてあっという間でした。
 3週目のメインはさよならパーティーとSpeech presentationでした。私はこのスピーチに一番苦戦しました。元々人前で話すのが苦手だったことと、自分の書いた原稿を人に見せるのが恥ずかしい、間違っていたらどうしよう、というわけのわからない抵抗感で、私自身前日は本当にスピーチが嫌でした。周りの人からもどうなることかと心配をかけていたようです。スピーチの前日、全く関係のない用事でUNOの武先生のところに行ったとき、武先生に本当にスピーチをやるかと聞かれました。アメリカではその人が苦手なことを無理強いしないこと(苦手なことをやらせるよりも得意なことを伸ばす方針)、武先生のクラスの学生でも人前で話すことが苦手な学生がいて、その学生にはなるべく人前で話をさせないことを聞きました。スピーチをやらないという選択肢もあったものの、私は結局、順番を緊張感の少ない最初に変えてもらい、スピーチを行いました。今ではあの時スピーチ自体を諦めなくてよかったと思っています。人前で英語で発表すること、自分の書いた原稿を先生に見てもらいOKをもらえたこと、スピーチをすることでこの2つが経験できて本当に良かったと思っています。
 行き帰りのフライトは長かったです。行きの飛行機の中は半袖では寒かったので、今後行く人は長袖の上着を持って乗ったほうがいいです。あと日本では現地の硬貨は両替できないので、なるべく崩さずに使うか、向こうで使い切って帰ってくることをおすすめします。私は日本に帰ってきてから小銭が4ドル分くらいあることに気が付いて後悔しました。
 UNOの日本語クラスの学生さんの中には、「わたし日本語出来るよ」と簡単な日本語を話してくれる学生さんもいました。本来、この留学の目的は英語に触れることであったのだから、アメリカに来てまで日本語に触れるのは目的から外れていると思います。でも私はこの留学で、英語学習のモチベーションをもらっただけでなく、自分の知らない土地で自分の母国語を話してもらえることがどれだけ安心できることなのか実感しました。日本にとどまり、海外に出ないから外国語を学習しなくて良いというわけではなく、国外から人を迎え入れる側として、外国語や違う文化について学ぶ必要があるのだと思いました。もし英語圏から来た人が日本語に囲まれて緊張しているなかで、英語を話してあげられたなら、その人を安心させることが出来ると思います。
 また、語学は「得意か得意ではないか」よりも「使うか使わないか」だと思いました。多少間違っていても通じるし、逆に私はUNOの学生さんに「クニコ!」と言われても、3回くらい聞くうちに「キノコ」のことであるとわかったりしたので、案外ネイティブにはその程度なのかもしれません。私は英語でのやりとりからだけでなく、現地の学生さんや一緒に行った静大のメンバーからたくさんの刺激をもらいました。UNOの武先生の日本語のクラスはとても難しく、約半分の学生さんは試験に合格することができないそうです。Conversation partnerの中には、それでもめげずに何回も履修して日本語を覚えた学生さんや、合格したけれどもう一度勉強するために同じクラスを取り直したという学生さんもいました。私は今まで学校の試験や入学試験のためになんとなく英語、そして第二外国語を勉強してきたけれど、この夏季短で出会った人たちはみな語学にかける情熱が強く、そのような人たちと話すことで語学学習へのモチベーションが高まりました。一緒に行った静大のメンバーも向上心があり、行動力のある人ばかりでした。
 正直、行く前はどうなることかと思っていました。静岡キャンパスの中で一年生は私だけで、うまくやっていけるか心配でした。でも、アメリカに行ったらそんな心配は吹っ飛びました。静キャンも浜キャンもみんな仲が良く、UNOの学生さんたちもみなフレンドリーで、
とても楽しかったです。特に二週目のサウスダコタ旅行のFort RobinsonとNiobraraではみんなでコテージに泊まり、自分たちで朝ご飯を準備するので、本当の家族のような気分でした。夜もみんなで集まってキャンプファイヤーをしたり、英語版の人生ゲームをしたり…。サウスダコタ旅行の最終日は良樹さんの誕生日で、みんなで12時ちょうどに良樹さんの部屋に行き、サプライズパーティをしました。顔面ケーキに勢いをつけすぎてコテージのカーペットを汚し、たくさんの人に迷惑をかけたこと以外はどれも本当にいい思い出です。英語で話している限りは日本のような上下関係も考えなくて良いので、留学を考えている一年生はどんどん挑戦してみてほしいと思います。

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農学部 2年 中村晃

 ホームステイしている間は基本的に午前中英語の授業を受けて、午後はカンバセーションパートナーと大学内のジム施設で遊んだり、ホストファミリーと過ごしたりしました。英語の授業といってもそんなかしこまったものではなく、先生がアメリカについて紹介したり、カンバセーションパートナーと英語で話したりするだけで、とても楽しいものでした。
 休日は、ホストファミリーが湖へ連れて行ってくれて、そこで泳いだり、ジェットスキーに乗ったり、とても楽しい週末を過ごさせてもらいました。ホストファミリーの方には孫が小学生の孫がい2人いて、その子たちと遊ぶのも楽しかったです。アメリカの家らしく、いろいろおもしろいオモチャがありました。(ドリフトするカートなど)ご飯は、ホストファミリーの方がご飯を炊いてくれて、おかずも基本的においしかったです。
 一週間旅行は、すごく楽しかったです。ただ、ネイティブスピーカーがひとりしかおらず、ほとんど日本語で話をしているのが残念でした。しかし、ラッシュモアでアメリカの歴史を学んだり、チムニーロックや州立公園で見た流れ星などアメリカの自然の中での経験は、ほんとうに素晴らしかいものでした。

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農学部 2年 森田真広

単位留学を終えて

私がこの短期留学に参加したのは、去年の夏にいったイタリアが理由です。私はそこで同行していた方に「アメリカに行ってみろ、あそこは世界で最先端だからきっと勉強になる」と言われ、留学を決意しました。それまでにも英語圏の人と会話し語学力を上げたいとは思っていましたが、なかなか踏み出せませんでした。
アメリカにいってすぐの時は緊張してしまい大変でした。そんな緊張を解いてくれたのがホストファミリーでした。彼らはいきなりキャンプに行くと言い出して、私をキャンプに連れて行ってくれました。私はそこで多くの人を紹介され、会話しました。そこであった人たちはとても陽気で話しやすくすぐにうちとけることができました。くたくたになって帰った時に緊張がなくなっているのに気付いてとても感謝しました。本格的にアメリカ人と話したのはその時が初でした。英語は思っていたよりは何とかなった感じがしましたが、そこに彼らの優しさも感じました。外国語を学ぶことの難しさを知っている人はこちらに合わせて話してくれるので会話自体は十分こなせました。しかしそういった感覚のない人と会話することの壁は高く感じられました。まず聞き取れない。これが一番大変でした。聞き取れないことにはどうしようもなく、会話が気まずい感じで終わってしまうこともありました。たぶん、私一人ならそのままおろおろして終わりだったと思います。しかし、そういったときは必ず、ほかの夏季短のメンバーがフォローしてくれました。
アメリカで驚いたのはスケールです。とにかくなにもかも大きいです。アメリカの先端技術は見られませんでしたが、日本との違いは見せつけられました。広大な農地がその一つです。とにかく広かったとしかいいようがありませんでした。日本では土地の面からも、考え方の面からもできないやり方だと感動しました。機械と農薬を用いた大規模農業は技術を使った力押しな感じがし、アメリカ人の考え方に触れられた気がしました。農業用の航空機とセンターピポット方式を見たときは感動しました。事前に知っているのと知らないのでは大きな違いがあることも痛感しました。知っていたほうが話も弾みましたし、何より感動も大きかったです。
夏季短二週目の旅行はバス移動の多さが難点でしたが、短い間にほんとうにたくさんの思い出を作ることができました。ネブラスカは星がきれいに見えます。日本とは見え方が異なるので、星座を探すのが大変でした。しかし、星座を探していると流れ星が見えたりなどいろいろと楽しむことができました。とにかくアメリカは日本と大きく違います。通学で使う道でもよく見れば面白いものがたくさんあります。3週間という短い間でしたが、学ぶべきところはたくさんあり、中には考えさせられるものもありました。普段自分が生活していてわからないことが、今回の夏季短でわかりました。これはきっとアメリカに行かねば考えなかったことです。外国に行く決断をするのはたいへんです。しかし、行った甲斐はあったと思います。私はこの夏季短が終わった後とくにまた外国に行こうとは思っていませんでした。夏季短を通して私は様々な国をみてその国の人たちの考え方に触れてみたいと思いました。なのでまた一歩踏み出して外国を探検してみようと思います。

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情報学部 3年 中島悠

 私たちはネブラスカ州オマハ市に3週間滞在しました。留学前、オマハは田舎であるという噂を聞いていたので、周り一面が田んぼで、お店などあまり無いような町を想像していましたが、実際は違い、お店も遊ぶ所もたくさんあって、とても素敵で楽しい街でした。
 成田空港から出発してミネアポリス空港を経由し、オマハ空港へ到着すると、ホストマザーのベッキーが私と、一緒に滞在する良樹先輩を車でお迎えに来てくださいました。車は左ハンドルで右側通行。その時アメリカに来たことを実感したのを今でも鮮明に覚えています。そして最初にマクドナルドへ連れて行って頂きました。私は普段日本のマクドナルドでアルバイトをしているので、一度は行ってみたいと思っていました。日本とは違い、商品のお肉は肉厚、ドリンクは考えられない程ビッグサイズ(アメリカのSサイズが日本のMサイズくらい)で、尚且つおかわり自由で、「さすがアメリカだなあ」と感じさせられました。
 私たちはベッキーとマイクのお家に滞在させて頂きました。彼らは過去に数十人の留学生のホストファミリーを引き受けていたようで、そのこともあり非常に快適な空間を提供してくださいました。二人は非常に元気で活発な方々でした。
ベッキーは料理がとても上手で、特に彼女の作る「ズッキーニブレッド(zucchini bread)」は私のお気に入りで、毎朝これを好んで食べていました。日本へ帰る前日、これを作るためのレシピをいただいたので、また日本で作ろうと思います。また、彼女は女子ジュニアサッカーチームのコーチをしていて、その試合も観に行きました。浮き輪に乗って川下りも一緒にしたし、プールにも何回か行きました。
 ホストファザーのマイクは釣りがとても好きで、私たちも連れて行って頂きました。残念ながらその日は一匹も魚を釣ることができませんでしたが、楽しい時間を過ごすことができました。彼は、「川辺で椅子に座って、川の流れる音や自然を感じながら過ごす実に平和なこの時間が僕は本当に好きなんだ。」と私たちに語ってくれました。それはそれは本当に平和的で、思わず寝入ってしまいそうでした。彼とは野球観戦にも行きました。オマハストームチェイザーズ対ソルトレイクビーズの試合でした。私たちはもちろんオマハを応援しました。会場に溢れる「チャーーーージ!!」の掛け声に私たちも参加し、本当に楽しかったです。対戦結果はオマハの勝利でした。
 ベッキーとマイクのお家には、私たちだけでなく、他の国の留学生や、知覚障害を持つ子も滞在していました。私たちが滞在し始めた頃には、すでにサウジアラビア出身のフセイン君がおり、彼とは映画を見たり、近くのショッピングセンターを案内してもらったりもしました。また色々な会話もしました。自国の数字の数え方や、自国の文字での名前の書き方など、興味深い内容でした。アラビア語は私たち日本人が普段発することのない発音が存在するので、とても難しく感じられました。また彼は日本のアニメを沢山知っており、アラビアにも日本のアニメが浸透しているということに関して驚きました。彼は私たちが滞在して1週間ほど経つと帰国してしまいました。またそのうち会うことができたらいいなと思います。
 テイラーという高校生の子にもお家の中でしばしば会いました。彼は軽度の知覚障害をもっており、週に何回か泊まりに来ているようでした。彼は常に元気で、とても明るく、私たちも彼から元気をもらっていました。またディズニーがとても好きなようで、私のミッキーの絵がプリントされたトートバックを見て喜んでいました。私たちが帰国する直前に彼に会うことができなかったので、残念でした。
 私たちが帰国する2日ほど前にサウジアラビアのアブドゥルさんと言う人も新しく滞在を始めていました。会社の国際人事管理のための研修で大学へ行くために滞在をすると言っていました。私も将来就職したら海外研修に行ってみたいと考えさせられました。
 そしてベッキーとマイクの孫娘であるスカーレットちゃんにも何回か会いました。1歳の女の子で、笑った時の顔や、歩き方がとても可愛かったです。会ううちに私たちのことも覚えてくれたようで、私が彼女に変顔をしたりすると笑ってくれるようになって、本当に嬉しかったです。また10年くらいしたら彼女がどのように成長したか見るために会いに行きたいです。
 このようにホストハウスの中でもたくさんの人々に会い、とても楽しく過ごすことができました。また、もちろん学校でも楽しい仲間ができました。
 まずオマハ空港へ到着すると、私たちの面倒を見てくださる武先生とその娘さんのセイラちゃん、学生のショーンとウィルが出向かえてくださいました。私は少し緊張しながらショーン、ウィルと挨拶しましたが、暖かく歓迎してくれたのでとても安心しました。
 私たちはUNO(ネブラスカ大学オマハ校 - University of Nebraska at Omaha)という学校に通いました。学校ではジュリアン先生の授業を受けました。授業内容は基本的に簡単なものでしたが、スラングやイディオムについて教えてくださったり、私たちが英語に関して難しいとか、疑問に思っていることについて解説してくださったりしたので、とてもためになりました。ジュリアン先生はとても親切な先生で、Facebookでもコミュニケーションを沢山取ってくださり、学校でも沢山話してくださったので、有意義に海外での学校生活を過ごすことができました。日本に帰国した今でもFacebookで時々会話しています。また彼女の授業の後半では、UNOの学生さん何人かをconversation partner(会話のパートナー)として、様々なことを自由に話す時間も与えてもらえました。アメリカの色々なことについて聞くことができてとても充実した時間でした。一つ驚いたことは、アメリカのバレンタインデーは男性が女性に対してチョコレートをあげる日であり、ホワイトデーは存在しないということでした。しかも義理チョコという文化は存在せず、すべてが本命であるということでした。この違いは私たちもパートナーもお互い驚きましたし、少し勉強になりました。
 パートナーの学生さん達とは本当に色々なことをしました。アメリカ生活3日目には世界一の動物園と言われるオマハ市ヘンリー・ドゥーリ―動物園へ行きました。そこではオースティンとデイビッドが案内してくれました。とても広い動物園で、色々な動物を間近で見ることができて素晴らしかったです。案内役の彼らはとても気さくで、フレンドリーに接してくれました。オースティンとはこれ以外の機会にも沢山遊びました。彼の友達とテニスをしたり、ボウリングをしたり、映画を観たりしました。また彼のうちで日本のスマートフォン・ゲームをしたりもしました。とても楽しかったです。また、パートナーとの学校生活で一番楽しかったイベントの一つと言えるものが、ハイパーと呼ばれるジムと体育館の複合施設の中で行ったバレーボールです。学校の授業とランチが終わると、ほぼ毎日と言っても過言ではない程バレーボールをしました。日本の留学メンバーと、UNOのショーン、ウィル、ダニエル、ブリタニー、オースティン、ケビン、カイルと一緒にしました。熱狂しすぎて足の裏の皮がめくれましたが、とてもいい思い出ができました。このパートナーのうち何人かが近いうちに日本へ来るということなので、また来たら会って遊びたいと考えています。
 さて、この留学の2週間目に私たちは武先生、ショーンとサマーツアーに行きました。ネブラスカ、サウスダコタ州を周りました。チムニーロック、ラッシュモア山、キーストン、バッドランズなどの名所に行ったり、フォートロビンソンやナイアブララ州立公園というところでカヌーやジープライド、マウンテンバイク、乗馬体験などの様々なアクティビティを行ったりしました。私の気に入った場所は、ラッシュモア山でした。そびえたつ大統領が彫刻された岩はとても大きく、これを人が彫ったものだということが信じられませんでした。また、この製作過程に関するビデオも、ビジターセンターの中で見ました。これを作る際にはダイナマイトが使用されており、また何人もの人々が命を落としたとされていました。人々の計り知れない努力によって作り出された彫刻像であることを学びました。また、カヌーやジープライドは、どれも大自然を味わうことができるもので、素晴らしいものでした。また、フォートロビンソンに滞在した晩には、多くの流れ星を見ることができました。私たちの年は天候にも恵まれ、ものすごくラッキーな年だと感じました。
 私は、アメリカの文化を吸収するだけでなく、日本の文化の発信もしました。ホストファミリーにお茶漬けや抹茶を作ったり、濡れおかきや揚げ煎餅をあげたりしました。おいしいと言って食べてくれたのが嬉しかったです。また、帰国前にさよならパーティという催し物がありました。そこで私たちは豚汁、ちらし寿司を作りました。おいしくできたと思います。このパーティの中で、出し物もしました。まず浜松キャンパスの男子メンバー5人でリズムに合わせて腹太鼓をしました。黒歴史を作ってしまったという感じが否めませんが、宴会芸と考えれば日本文化を面白く伝えることができたのではないかと思います。また日本で今有名なアイドルとして、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」をメンバー全員で踊りました。これも喜んでくれました。日本の良さがこれらによって伝わっていれば幸いです。
 この留学を通して、私は多くの事を学びました。第一に、自分から積極的にコミュニケーションを取ろうとする姿勢が大事であると実感しました。誰に話しかけるにしても、その第一言目の言葉をかけることが日本人は文化的に苦手でありがちですが、そこで勇気を出さなければ何も始まらないということを実感しました。留学において自分は色々な人と話すことができたからこそ、とても充実した三週間になったと思います。
 二つ目に、今アメリカで流行っている映画や音楽を学生に教えてもらうことができました。映画は、「Guardian of the Galaxy」というものが人気であるようでした。音楽は、KONGOSの「Come With Me Now」というものが流行っていて、何度か耳にしました。またサマーツアー中に、アメリカ人が学校の音楽の時間に学ぶような楽曲もいくつか学ぶことができて、とても興味深かったです。
 三つ目に自分の住む国や地域のことについて知っておくことの大切さも学びました。自分の住んでいる県の人口とか、アメリカのあるものと日本のそれの違いはどのようであるかといったことを聞かれる場面が何回もありましたが、自分の知識不足で答えられないものもいくつかあり、自分のことなのに答えられず情けないと感じることが沢山あったので、日本人の名に恥じないよう、自分の事も勉強しておく必要があると思いました。
 四つ目に英語の上達です。留学前に、3週間では英語はそこまで上達しないと言われていましたが、想像していたよりも英語を話すことができるようになったし、格段に聞き取れるようになったと思います。英語で電話をすることもできました。やはり周りに英語を話す人しかいない世界に行くと違うなと感じました。
 しかし、うまくいったことばかりではなく、英語に関する困難もいくつかありました。第一に、私たちが学校教育で習うことのないスラングが多数存在するということです。一度意味が分かってしまえばすぐに理解することができるのですが、如何せんスラングは無数にあるし、私たちはそれを学校で習うことがなかったため何度も理解に苦しむことがありました。しかし、私たちには会話のパートナーがいたし、その他の周りの人々も親切であったため、それが救いになりました。
 二つ目に、敬意をはらうことや、応援をすることの難しさです。私たちには敬語という物が存在し、それを使えば敬意を払うことができるのだが、英語にはそれが(全くとは言えないが)存在しないため、何が失礼なのか、今言っていることが実は失礼なのではないかということに戸惑い始める時期がありました。この事について友達や先生に相談しましたが、皆「大概気にしなくて大丈夫だよ。」という風に言ってくれたのであまり気にはしませんでしたが、それでも敬意を払うことに慣れてしまっている身としては、それが出来なくて居た堪れない気持ちになることもしばしばありました。また、英語には一律に日本語の「頑張って!」を意味する言葉が存在しないため、状況に応じて様々なセンテンスを使い分ける必要がありました。それに少し苦労した覚えがあります。
 アメリカの文化には、様々ないいところがあると思いました。年齢関係なく仲良く接することができるし、男性は女性をおもてなすために積極的に動くし、車の免許は日本に比べると格安で取得することができるし、すごく魅力的でした。しかし、日本の良さも改めて知ることができました。街は本当に清潔で皆ごみのポイ捨てをほとんどしないし、礼儀も正しいし、また保険制度も優れていると思いました。アメリカには健康保険への加入義務がなく、一般人が加入する公的保険が存在しません(65歳以上、障害者、低所得者、米軍勤務者とその家族を除く)。そのため、アメリカ人は民間の保険へ加入するという選択肢しかありません。先生曰く、それらの保険はどれも保険料が高額だそうです。保険に加入しないにしても診察にかかれば高額な医療費を請求されるため、医療に関しては苦労していると聞きました。これは聞いた話なので正しいことかは分かりませんが、政府がお金を動かしたいがために(アメリカ人が保険料を徴収されることが強いられるのを嫌っているのもあると思いますが)そのような制度を取っており、食べ物に関してもハイカロリーで、極めて甘いデザートが多いのは、患者を増やして医療サービスを利用させるためだという意見も耳にしました。その点日本は社会保障制度が充実していて、医療に関しては恵まれていると思いました。またこのような実態があるために、UNOには大きなジム施設があって、多くの学生たちが利用していることも、街にプールや屋外テニスコート、サッカー場などが沢山あって、人々が運動に積極的なことも頷けると思いました。
 さて、長文になってしまいましたが、私が留学をして体験した事、感じたこと、考えたことを凝縮しました。これでもまだ語り尽せていないほどです。私の個人的な考えですが、学生は一生に一度は留学へ行くべきだと思いました。学生でなくても、行くべきです。行って生活するだけでも様々な勉強ができるし、自分の国や自分自身について見つめ直す良い機会になると思います。私も自分に関しての考えが少し変わりました。留学前私はIT系の職業に進むことを考えていましたが、日本で英語を教えるとか、逆に外国で日本語を教えるとかもしてみたいと思っているので、自分の将来に対しての視野がすごく広くなったと実感しています。3週間という短い期間ではありました、私の人生にとって間違いなく貴重で、価値のある時間でした。またオマハに訪問しようと思います。

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工学部 1年 河合健吾

留学前は何とかなるだろと思っていましたが、いざアメリカに着いて英語で話してみると、うまく英語でまとめられない、言いたいことはあるのに上手に伝えられないという現状におちいりました。しかしアメリカの方のほとんどが温かく、親切なので、分かりやすい英語やゆっくりとした口調で楽しくコミュニケーションをとることができました。アメリカでの経験は想像以上に素晴らしいものでした。毎日が本当に充実していて、毎日壮大なイベントがあるような気分でした。特に横断旅行では日本では決して見ることができない景色や野生動物などを間近で見ることができ、アメリカのスケールの大きさにとても感動しました。留学を通じて、世界が広がった気がします。
私の考え方などを大きく変えた3週間はとても有意義なものでした。

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工学部 1年 関元貴

最初は、コミュニケーションが上手に取れてうまくやっていけるかすごく不安でしたが、ネブラスカの人は誰もがやさしく接してくれました。二週間目の旅行で見たラッシュモアマウンテンはとても感動しました。そして静岡大学のメンバーもネブラスカ大学のメンバーもみんなで仲良くできて本当に楽しい三週間でした。

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工学部 1年 牧田圭太

私は、今回この留学に参加していろいろなことを学ぶことができた。最初は正直、半分観光目的でこの留学に参加したけれども、とても勉強になったことが多く、本当にこの留学に参加してよかったと思った。アメリカの美術館や歴史博物館などに行き、実際にアメリカの地でいろいろのものを自分の目でみてアメリカの歴史について学んだことは本当に貴重な経験だったし、非常に勉強になった。また、アメリカの自分の目の見える限りに広がるコーン畑や、大草原の中にいる野生の動物たちなど、アメリカの大自然にふれることができて、本当によかった。このように日本では体験することができない経験をたくさん経験するとができ、日本では学べないようなことがたくさん学ぶことができて、とても充実した3週間だった。

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工学部 2年 田中克弥

 僕はこの短期留学に参加すると決めたのは短期留学の始まる約10か月前です。そのころから、アルバイトをはじめ、お金をためてそのお金をほぼ全てこの短期留学に使いましたが、本当に価値のあるお金の使い方をしたと思いました。なぜならこの短期留学は自分の人生において貴重な経験になり、また、僕の夢が広がったからです。
 僕は日本にいる時から英語だけを話す生活をしてみたいと強く願っていました。そして、何度も何度も3週間の短期留学を終えた後の自分の英会話力の成長を行く前からイメージしていました。だから、アメリカについた途端、僕はうれしすぎて空港で靴磨きの仕事をしている人に突然話しかけました。その人は突然話しかけられたにもかかわらず、僕と笑顔で話してくれて、また最後に握手をしてくれてものすごく親切な対応をしてくれました。そのときから、僕は失敗を恐れる気持ちは全くなくなり、誰とでも英語で話す自信を持ちました。その自信を僕は最後までキープできたと思います。だから、当然ホストファミリー、conversation partner、先生にはもちろん英語で絶え間なく話していました。しかし、一番難しかったのが、他の日本人の生徒に英語で話しかける時でした。僕は行く前からアメリカにいる時は英語しか話さないと強く決めていたので、一緒に旅に出た日本人の仲間にも英語で話しかけるようにしました。しかし、他の日本人の仲間たちが日本語で盛り上がっているところに英語で話を割り込み、場を静かにさせてしまったことも幾度かあり、これを続けるのはつらいと何度か思いました。本当は日本人とは、日本語で話し、日本人以外とは英語で話すのが最も良い方法だとその時僕は思いました。けれども、日本にいる時に決めた何か強い気持ちが自分をそうはさせなかったです。そこで、ホストマザーに相談をしたところ、「そのまま英語だけで話すこと続けなさい」と言ってくれて、自分のしたことは間違ってなかったと思い自信をもって継続することができました。僕のホストマザーは僕がそのような悩みを抱えたときにいつでも相談してくれました。本当に、ホストマザーはアメリカにいる間の心の支えでもありました。結局、一緒に旅した日本人のみんなは僕が英語だけで話すことを受け入れてくれたのですごくうれしかったです。
 また、語学研修のみの目的で行った僕にとっては予想以上に多くの収穫がありました。日本との食生活の違い、ものの大きさの違い、人柄の違いを知り、また歴史、農業、地形などの多くのものを学ぶことができました。僕たちは数多くの疑問がありましたが、毎回丁寧にその疑問に答えてくれたのはconversation partnerですごくいい人ばかりでした。僕は彼らとすごくいい友達になれて幸せです。アメリカでできたたくさんの友達は僕にとって宝物です。ある友達とは、地球温暖化について話し合い、ある友達とは、日本のアニメについて話し合い、様々な話題を共有することができました。その時の会話の時間は自分の人生の中でも貴重な経験となったでしょう。なぜなら、英語は学問でなく、一つの気持ちを伝えるための手段であることを本当の意味で理解した気がしたからです。
 最終的に、いろいろな人と話したことで、自分の夢は大きくなった気がします。将来、世界で研究、発表をしたいのが僕の夢ですが最初の一歩を踏み出せた気がします。また、次海外に行くことも具体的に考えるようになりました。短期留学に行く前にイメージした3週間後の自分は英会話力の成長した自分でしたが、結果的に英会話力の成長だけでなく自分の夢が膨れ上がり、イメージした自分以上の自分を手に入れることができました。この経験を将来に役立てていきたいです。3週間かかわった人には大変感謝しています。ありがとうございました。

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