静岡大学国際連携推進機構

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留学プログラム

交換留学

コメニウス大学(スロバキア)

  • 留学期間:2021 年9 月~2022 年6 月
  • 学部等:人文社会科学部

【授業】
9 月からの冬学期は9 月13 日から12 月17 日までで、クリスマス休暇を挟み、1 月3 日から2月11 日までがテスト期間です。9 月13 日からの1 週目は留学生のガイダンスなどがあったようなのですが、私はワクチンやフライトの関係で9 月16 日にこちらに来たので参加できませんでした。ガイダンスに参加できなかったことに加え、私の学部の留学生担当の方が産休で在宅勤務中だったため、学生証の手続きや授業登録のやり方などもメールの指示しかなく非常に苦労しました。メールも日本とは異なり、すぐに返信が来ないためなかなか手続きが進まず不安でした。更に、コメニウス大学には留学生のバディ制度などもないため、頼れる人がおらず自分でなんとかするしかありませんでした。
9 月の授業登録期間には、英語で開講されている授業リストを見ながら様々な授業を見学しました。その期間もリストの見方がよく分からず、教室を間違えたり、いざ教室に行ってみたらオンライン授業に切り替わっていて誰もいなかったりトラブル続きでした。ただ、これは留学生の私に限ったことではなく、現地の学生も同じような状況のようでした。スロバキアでは、国の感染状況のレベルによって大学の教室の面積に対する許容人数が制限されるため、対面授業がオンライン授業に急に変わったり、時間や教室が変更されたり、学生も教授もかなり混乱していました。実際、現地の学生に教室の場所を聞かれたこともありました。彼女は1 年目が全てオンライン授業だったため校舎に来るのが初めてだったそうです。また、授業が開講されるはずの教室の前で現地の学生たちとオンライン授業を受けたこともありました。授業登録は10 月1 日までにオンラインシステム上で行うのですが、日本の大学のような分かりやすく簡単なフォームではないため、一緒に留学に来た友人とともに説明書と格闘しながら2 時間以上かけてやっと登録することができました。それでも、システムのトラブルで登録ができない授業があり、学部の担当者や教授に直接メールを送らなければなりませんでした。このように私の場合は、コロナウイルスの影響で、手続きや授業登録に最も手こずりました。ただ、自分で問題を解決しなくてはいけないという責任感が芽生え、授業見学を通して現地の友人もできたので、今となっては貴重な経験
だったと感じています。
私は、9 月から1 月の冬学期に5 つの授業を受講しました。3 つは人文学部、2 つは教育学部の授業です。人文学部ではもともとヨーロッパの歴史や文化について学びたかったので歴史系を中心に受講し、教育学部では語学系の授業を受講しました。
人文学部の授業は全て対面、教育学部の授業はオンラインでした。(ただ、コロナウイルスの感染レベルが一番上のレベルに引き上げられたことに伴い、11 月8 日からは人文学部も全ての授業がオンラインになってしまいました。)こちらの大学では、日本の大学のように「1 限が何時から何時」と決まっておらず、授業によって開始時間や授業の長さがまちまちです。同じ授業が週に複数回あることもあります。
ここからは、私が受講した授業について簡単に説明したいと思います。
①Introduction the History of Central Europe(火曜日10:50-12:20、木曜日12:35-14:05)
この授業は人文学部の授業で中欧・東欧の古代から現代までの歴史を通史的に勉強する授業です。火曜日は講義、木曜日は一人一人に与えられたテーマについて20 分程度のプレゼンテーションを行います。私はこの授業は内容的には非常に面白くとても好きだったのですが、先生の英語が早く分量も多い上、ヨーロッパの歴史や地理の基礎知識が無いため非常に難しかったです。日本の高校で学ぶ世界史や、書籍では少ししか触れられていない部分の歴史なので新しく知ることが沢山ありました。特に、様々な民族が生活し、支配勢力や国の名前が頻繁に変わる点は、島国で明治時代以前は海外との関わりが比較的希薄な日本とは大きく異なるため興味深かったです。
ちなみに、私のプレゼンテーションのテーマは、冷戦下のポーランドの「Solidarity(連帯)・Walesa(ワレサ)」でした。冷戦はもちろん知っていましたが、第二次世界大戦中や戦後の冷戦下の東欧諸の動きや、どのようにして冷戦が終結したのかは詳しく理解していなかったので、良い機会になりました。
テストはオンラインの口頭試験でした。教授と1 対1 で、9 世紀から18 世紀のEarly History と、19 世紀から冷戦までのModern History から1 つずつ質問に答える形式でした。私は、テスト範囲から先生がランダムで問題を出すと思っていたので全範囲を1 ヶ月間勉強し、特にテスト2 週間前は1 日5 時間くらい勉強していたのですが、教授が求めていたのはテスト範囲から自分で好きなトピックを選んでそれについて説明することだったので、全範囲の流れや重要事項を抑える勉強をしてきた私は全然説明ができず散々な結果となりました。自分の思い込みで勉強を始めずに、先に教授に出題方式や不明点を確認すべきだったと反省しました。また、英語力も日常会話はある程度できる様になってきましたが、まだま足りないということを実感させられました。
②Global Impact :Interaction and Native Response to European Colonialism(水曜日9:50―10:35)
これも人文学部の授業で、植民地支配や帝国主義の定義やメカニズムについて学びました。前半はスペインやポルトガル、イギリスの植民地支配の歴史や手法の違い、現在にも繋がる民族や人種差別、「文化の盗用」などについて講義を受け、後半はそれぞれ授業に関するテーマについてプレゼンテーションを行いました。私は、日本の韓国併合についてプレゼンしました。参考文献を読んで文章やパワーポイントの構成を考えるのがとても大変でした。日本の歴史をほとんど知らないヨーロッパの人にどうやって簡潔に伝えたらよいか分からず、分量が多くなってしまった点や、発音が難しい単語が多く流ちょうに話せなかったことが反省点です。テストはオンライン上で前半の講義の内容を元にしたクイズ形式で選択問題や言葉の定義について答えるものだったため難しくはありませんでした。
③Memory and History: Middle Ages, Central Europe and Beyond(水曜日10:50-12:20)
これも人文学部の授業で、「Memory(記憶)」と「History(歴史)」の違いについてテキストから学び、後半は自分の国と中欧の国の「Collective Memory(集合的記憶)」について2 回プレゼンテーションを行いました。テキストは、授業の1 週間から3 日前までに教授がオンラインでアップロードするのですが、分量もかなり多く読み切れないことが多かったです。知らない単語が多かったのもありますが、内容が難しくインターネットで日本語の資料などを読んでも理解できない部分がいくつかありました。ただ、今まで意識して区別したことのなかった記憶と歴史を改めて定義して、違いを見ていくのはとても新鮮でした。
2 つのプレゼンテーションのテーマは関連性があるものが好ましいとされていたので、第二次世界大戦という視点から広島の「原爆ドーム」と、スロバキアの「Slavin(スラヴィーン) 」というスロバキアがナチスドイツの支配から解放された日と解放軍(ロシア軍)を記念して作られた慰霊公園について発表しました。「中欧の歴史についての知識もほとんど無いのに、史実ではなく民族、国民に共有されている記憶なんて分からない。」とテーマ設定に苦戦していた時に、別の授業で知り合った友人にSlavin に連れて行ってもらう機会があり、彼女の説明を聞いて「これにしよう!」と決めました。ただ、なかなか参考資料が見つからず、スロバキア語の資料ばかりなのでパワーポイント作りが大変でした。発表内容は教授と友人から「良くできていたよ!」と言ってもらえたので非常にうれしかったです。この授業は、テストがない代わりに自分のプレゼンと他の学生の発表のフィードバックを書いて提出するという課題がありました。私以外の学生は、全員ヨーロッパの学生だったのでスロバキア以外にもウクライナやポーランド、ロシアなど様々な国の集合的記憶について知ることができ、非常に面白かったです。
④Slovak for foreigners-Language course(水曜日13:30-15:00)
これは教育学部の授業で、留学生を対象にしたスロバキア語の授業でした。せっかく、スロバキアに来たのだからスロバキア語も勉強してみたいと思い受講しました。教育学部の授業で基本的にオンラインだったのですが、受講者がスペイン人2 人と私と、一緒に交換留学に来た友人の4 人だけだったこともあり、感染状況が比較的落ち着いていた10 月は2 回ほど対面授業がありました。1 回目の対面授業ではスペイン人学生が欠席したため、1 対2 でみっちり勉強した後、教授と3 人でカフェに行ってスロバキアや日本について会話を楽しみました。
授業内容は、スロバキア語のテキストを使って発音や単語、挨拶や自己紹介、基本的な文法についてです。スロバキア語は、インド・ヨーロッパ語族に属しているため日本語よりは英語に近いですが、文法や名詞の性、動詞の変化が複雑です。また発音も難しく、単語も英語と全く違うので覚えるのが大変でした。ただ、生徒がたったの4 人しかいないため指名される回数が多く、先生も厳しかったため挨拶などはある程度身に付いたのではないかと思います。テストはクリスマス休暇前に実施され、オンライン上でカメラをつけて教授が監視するなか取り組む形式でした。
テストの問題は1 人1 人異なるものが用意されており驚きました。内容は難しかったですが、なんとか合格点は取ることができたので良かったです。
⑤Language in use-speaking
教育学部で開講されていた英会話の授業です。毎週、教授から教授との個人ミーティングとペアワークの割り当て、英語日記などの課題がメールで送られてきました。ペアワークを通して英語を話す機会や友人を作ることができました。ただ、Teams からペアの連絡先を探して個人的にやりとりをするのですが、予定を合わせるのが大変でした。個人ミーティングは2 回ほどあったのですが、教授が親切な方でこちらが上手く話せなくてもゆっくり聞いてくれたので安心しました。教授の娘さんは日本に住んでいたそうで、日本の話にも花が咲きました。また、初回の授業の前に提出したSelf Introduction のフォームの好きな本の欄に、村上春樹の『ノルウェイの森』と書いたところ、教授から物語の結末について「主人公は自殺したと思うか?」という質問をされました。今まで考えたことがなかったので、驚きましたが、教授の意見は興味深く、他の作品についても話してみたいと感じました。この授業もテストは無かったのですが、英語日記15 ページ分を教授に郵送するという最終課題がありました。
全体を通して、プレゼンテーションが多かったため参考文献を読んだり、パワーポイントや原稿の準備をしたりすることに時間がかかり、テスト期間以外もかなり勉強したのではないかと思います。人文学部の授業は、内容が自分の基礎知識の少ない部分が多かったため英語以前に内容理解に時間がかかりました。また英単語も歴史やキリスト教に関連するものが多く、参考文献や授業資料を読み解くのに苦労しました。ただ、今まで自分の中にあった世界史の知識と中欧、東欧の歴史や文化をリンクさせて考えたり、プレゼン準備を通して韓国併合や原爆など自国の歴史について学び直したりできたのはとてもよい経験だったと感じています。
【住居】
例年はコメニウス大学の寮に入居するのですが、私の年度はコロナウイルスの影響で大学が寮の入居を制限していたため、個人でアパートタイプの民間寮に契約し生活しています。学校の寮に比べて家賃は高額ですが、一人部屋でシャワールームやキッチンの設備も良く、週一回の清掃サービスもあり、レセプションのスタッフの方々も親切なため快適に暮らすことができています。
私の住んでいる寮は、中心街にもトラム(路面電車)を使って10 分ほどで行くことができ、大学のキャンパスにも近いです。寮の向かいにはドラッグストアとスーパーがあるので日用品の買い物にも困りません。また、コメニウス大学に正規学生として留学している日本人医学部生も多く入居しているので安心感もあります。
ただデメリットもいくつかあります。まずは洗濯です。洗濯機と乾燥機の値段が高いので10 日に1 回くらいのペースで行い、乾燥機を使わず現地で購入した物干しを使用しています。2 つ目は人に会う機会が少ないことです。1 人部屋は便利ですし、コロナ禍の感染対策としては有効ですが必然的に人と会話する機会が少なくなります。またスロバキアはコロナウイルスの感染者が多いことに加え、ヨーロッパの中でもコロナ対策が厳しく、11 月下旬から1 月上旬まではロックダウン期間でした。特に12 月前半はショッピングセンターなども営業禁止になっており、飲食店も持ち帰り以外が禁止されていたため、外出することがほとんどできませんでした。もちろん留学生の集まりや学生イベントも中止になり、大学の友人も地元に帰ってしまったため、友人に会う機会や英語を話す機会を作るのが非常に難しかったです。そのため、私は近所に住む現地の友人と散策をしたり、クリスマスイブに友人の家に行ったり、友人を家に招待したりして、なるべく英語を話す機会を作るように心がけました。
2 月からの夏学期は、大学の寮に移ることができるので来月からは2~3 人部屋での共同生活が始まります。今の生活とは環境が大きく異なると思いますが、英語を話す機会が圧倒的に増えると思うので、新しい環境での生活に期待を寄せています。
【食事】
食事は主に自炊をしています。日本の食材や調味料も割高ですが、アジアンショップや高級スーパーで手に入ります。また、米はスロバキアの人も普段から食べるらしく、日本のようなショートタイプの米とタイ米がほとんどのスーパーで販売されています。肉や野菜などの値段は日本とあまり変わりませんが、果物や乳製品は安いです。スロバキアでは乳製品がよく食べられており、チーズやヨーグルトのコーナーが日本の2 倍ほどあります。牛の他に山羊の乳から作ったチーズなどもあります。ヨーグルトは様々な味やタイプがあるので食べ比べてみるのも良いと思います。バターは日本では値段が高く、品薄なことも多いですがこちらではバターもたくさん売られています。逆にマーガリンはあまり見かけません。ただ日本のバターと違って全て無塩バターなので、日本人には少し物足りないかも知れません。卵は日本と異なりあまり鮮度が良くないので生で食べることはできません。また、殻が脆く買ってきた時点で割れていることもあるので買うときにチェックが必要です。スロバキアは内陸国で海に面していないので魚介類は手に入れることが難しいです。生のものは値段が高いので、普段は冷凍の鮭やエビ、かにかま、ツナ缶などを食べています。スーパーでは商品名や商品の説明も全てスロバキア語もしくはドイツ語、チェコ語で書かれているので、最初の頃は買いたい物を見つけるのに非常に時間がかかりました。未だに買ってみたら、予想と違う物だったということがよく起こります。
外食についてですが日本に比べるとカフェやバー、居酒屋が多い印象です。スロバキアはビールやワインが有名で、酒の消費量も非常に多いです。市販のビールも基本的に500mL 缶しかありません。また、ビールやワイン以外にも、松のような針葉樹から作った「Borovička」やスモモから作った「Slivovica」などアルコール度数が40%以上のお酒もよく飲まれています。私の住んでいるブラチスラバにもビールの自家醸造所をもつバーがたくさんあります。ロックダウンの前は、コメニウス大学の日本語学科の学生や、スロバキアで働いている社会人の方や医学部生と飲み会などもしていました。スロバキア人はアルコールに強い人が多く、お酒を飲む際は料理を食べないので非常に驚きました。カフェは日本と同じようにスターバックスも人気ですが、日本にはないチェーン店や個人経営のカフェもたくさんあります。日本と比べるとホイップクリームを使ったドリンクやフレーバーは少なく、エスプレッソ系のメニューが多いのが印象的でした。スロバキアのマクドナルドやケンタッキーなどは日本に比べると少し値段が高いです。またメニューも日本と違うものが多く、驚きました。特にマクドナルドではサラダ系のメニューが豊富です。スロバキアではマクドナルド以外のレストランや、スーパーでもヴィーガン向け商品が多いです。植物性タンパク質の豊富な豆腐はどこのスーパーでも販売されています。日本の木綿豆腐を更に固くしたもので、いくつかのフレーバーがあります。スロバキア人の友人に聞いたところ、ここ10 年ぐらいでヴィーガンや健康志向の食事が人気を集めるようになったそうです。チェーン店以外には、イタリアンやアジア系料理のレストランなどがあり、日本の寿司も人気です。
寿司は魚が入手しにくいのでマグロとサーモンをキュウリやアボガドと海苔で巻いたものが多いですが、ブラチスラバで一番の高級店では本格的な日本のお寿司や料理を食べることができます。
アジア系の料理店ではベトナム料理が多いのが印象的でした。スロバキアは第二次世界大戦後、1989 年頃まで社会主義(共産主義)国だったため同じ共産主義圏のベトナムから多くの留学生などが来ていたことが要因のようです。
スロバキアの伝統料理では、「halušky(ハルシュキー)が有名です。ハルシュキーは、ジャガイモと小麦粉から作ったニョッキのようなものとチーズソースを絡めて、上にカリカリのベーコンをかけた料理です。なかでも羊のチーズ「ブリンザ」を使った「Bryndzové halušky(ブリンゾベハルシュキー)」がよく食べられています。私もスロバキア人の友人にスロバキア料理の有名店に連れて行ってもらった時に食べたのですが、羊のチーズやニョッキなど日本ではなかなか出会うことのない味が新鮮でした。ただ、かなり量が多く、普段からあまり乳製品を食べない私は半分食べきるのがやっとでした。他の日本人やスロバキア人も全部食べきるのは大変だと言っていたので非常にヘビーな料理なのだと思います。ハルシュキーのほかにもチーズを使った料理がいくつかあります。「pirohy(ピロキー)」は餃子のような見た目で小麦粉から作った生地の中に肉とチーズが入っています。「Vyprážaný syr」は、ファストフード的な料理でエイダムチーズやゴーダチーズのフライです。「syr」はスロバキア語でチーズを意味します。チーズ以外ではジャガイモがよく食べられており、メインディッシュの付け合わせはフライドポテトが多いです。そのほか隣国のチェコやオーストリア、ハンガリーの料理も食べられています。私は先日、チェコの「Tatarák(タタラーク)」という牛の生肉と生ニンニクをパンに塗った料理を食べたのですが非常においしかったです。スイーツは素朴な味付けのものや、パン系のものが多い印象です。
「Bratislavské rožok」や「makovník」というポピーシード(ケシの種)の餡やクルミ餡が入ったパンはパン屋さんやスーパーでよく見かけます。ポピーシードはスロバキアではスイーツなどによく使うらしく、スーパーの菓子材料コーナーに必ず陳列されています。そのほかに、「Trdelník(トルダーニク)」というパンのような生地を棒に巻き付けて焼き、シナモンシュガーやココアシュガーをまぶしたものや、「Buchty na Pare」という砂糖をまぶした丸いドーナッツ生地の中に果物ジャムが入ったもの、「palacinky(パランツキー)」というクレープ生地に果物やクリームを入れたものがあります。スロバキアの人はこの「palacinky」のことをパンケーキと呼んでいますが、日本人からするとクレープにしか見えません。友人にパンケーキを食べに連れて行ってもらった際に想像と全く違う物が出てきたので本当に驚きました。ただ日本のクレープよりも中に入っている具材が少なく、細長いです。値段は非常に安く手軽に食べられるスイーツです。


左)友人と「Bryndzové halušky(ブリンゾベハルシュキー)」
右)「Bratislavské rožok」


左)「palacinky」を食べに行った日
右)日本語学科の学生たちとの飲み会


【気候】
スロバキアは日本よりも高緯度にあるため気温が低く、日が出ている時間が短いです。また海に面していないので乾燥しています。私が生活している首都ブラチスラバはスロバキアの西側に位置しており平地地帯なので冬場の雪も少なく、夏の気温は日本と同じくらいまでは上昇します。一方、山岳地帯などは降雪量が多く、一年を通して気温が低いようです。
私がこちらに来たのは9 月中旬だったのですが、9 月から10 月前半はまだ気温も高く半袖や薄い長袖シャツ1 枚で過ごすことができました。10 月後半からは気温が下がり、11 月には10 度前半から1 桁台の日がほとんどでした。今年の11 月は例年に比べて気温が低かったのか、11 月後半にはブラチスラバで雪が降りました。ずっと静岡で生活し、雪をほとんど見たことがなかった私は興奮して外に散歩に行きました。11 月に雪が降るのは現地の人達にとっても珍しいようで、写真を撮っている人も数人いました。12 月から1 月にかけては日中が5 度以下で、明け方や夜には0 度以下になることが多かったです。特にクリスマスの時期は気温が低く、12 月9 日は大雪で数㎝積もり、クリスマス当日もパラパラと雪が降りました。雪が降った後は、積もらなくても気温が低いため路面が凍り、滑りやすいのでブーツが必須アイテムです。街で見かける人はほぼ全員と言っても過言ではないほどブーツを着用しています。

日の長さは冬に近づくに連れてどんどん短くなり、12 月頃は朝7:00 過ぎに日が昇り始め、午後3:00 頃には日が沈み始めるため、朝起きるのが遅い私にとっては一日のほとんどが夜のような状態でした。最近は少し日が長くなり、午後4:00 くらいに暗くなり始めます。また、冬場はかなり風が強く室内でもヒューヒューという風の音が聞こえますし、外は寒さと風で耳が痛くなるので多くの人がニット帽をかぶっています。大学の教室は寒いですが、お店の中はセントラルヒーティングなどで非常に暖房が効いているので汗ばむほどです。そのため重ね着はせず、現地で購入した厚手のロングダウンを着用し、マフラーやニット帽などの防寒具を使用して外での寒さ対策を心がけています。

【文化の違い】
文化の違いは、日常生活のなかで本当に沢山あるのでそのうちのいくつかを紹介したいと思います。
〈言語〉
日本語しか話せない日本人が多いのに対し、スロバキア人は英語以外にも複数の言語を話せたり、理できたりする人が多いです。私は、これは教育制度の違いだけではなく、歴史や地理的状況などいくつか要因があると考えます。まず、学校教育の面では、スロバキアの学校では日本よりも少し早く英語を勉強し始めるそうで、会話の機会も多いようです。高校ではドイツ語かフランス語の授業もあるそうす。次に、歴史・地理的条件でいうとチェコ語はそもそもスロバキア語に似ている上、1992 年までは同じ国だったので理解できる人が多いです。ハンガリー語は、ハンガリー系の血縁を持つスロバキア人もく、家族や親戚にハンガリー語話者がいるため理解できるそうです。最後に、スロバキア語コンテンツが少ないことが挙げられます。友人に話を聞くと、小さい頃のアニメで英語を学んだという人が多いです。アニメや映画などスロバキア語に翻訳されたものが少ないため、英語やドイツ語、チェコ語などで視聴しなければならないのです。
そのため、他の言語を学習する機会や会話の機会が少ない日本の教育制度には問題があると思いますが、島国で歴史上他の言語と交わる機会が少なかった点や日本語コンテンツが豊富な上、日本で生活する中で多言語を学ばなければならない状況があまりない点など、日本人が語学習得が不得意なことにも理由があり、海外と日本を言語習得能力において単純比較することはできないのではないかと考えす。
〈祝日〉
日本では祝日でも24 時間営業のスーパーやコンビニ、飲食店などが営業していますが、スロバキアでは多くの店が休業します。詳しい法律などは分かりませんが、一部の店しか営業してはいけないという決まりがあるそうです。また祝日は、「独立記念日」や「自由闘争と民主主義の日」など歴史的に重要な日以外に、「クリスマス」や「万聖節」、「公現祭」などキリスト教にまつわるものが多く、宗教上の祝日がない日本と異なります。
〈クリスマスと正月〉
日本とスロバキアではクリスマスと正月の重要度が逆です。日本ではクリスマスはイベントという位置づけで祝日にはなりませんが、スロバキアでは祝日となります。一方、日本では三が日は休日で1 月4 日以降が仕事始めになることが一般的ですが、スロバキアでは独立記念日である1 月1 日のみが休日で、1 月2 日、3 日は休日ではありません。他の欧米諸国と同様にスロバキアでは、クリスマスが1 年でもっとも重要な行事です。スロバキアを含めヨーロッパの多くの国では、11 月中旬あたりからクリスマスマーケットが開催され軽食やホットワイン、クリスマスの飾りなどの屋台が街に並ぶそうです。
スロバキアはキリスト教徒のなかでもカトリック信者が多い国なので、日本はもちろんのことアメリカのクリスマスとも異なります。カトリックのクリスマスは、それに比べると素朴な味わいがあります。クリスマスの時期にイエスキリストの生誕の場面を模した像を飾るのはスロバキアを含むカトリックの国の習慣だそうです。スロバキアではこの「ベイビージーザス(赤ちゃんのイエスキリスト)」が子供にプレゼントを持ってくるといわれています。また、12 月6 日の「聖ニコラウスの日」には聖ニコラウスが子供が寝ている間にキャンディーやナッツなどのお菓子をおいていくため、子供たちは前日の夜に寝室の窓辺に靴を準備しておくそうです。聖ニコラウスはサンタクロースのモデルになった人物といわれており、スロバキアではサンタクロースよりも聖ニコラウスのデザインのお菓子や飾りが一般的でした。料理については、日本ではクリスマスイブにはチキンを食べる人が多いですが、カトリックではクリスマスイブに肉を食べてはいけないという決まりがあり、チェコやスロバキアではメインディッシュに鯉を食べます。そのほかに「Kapustnica(カプスニツァ)」という酸っぱいキャベツのスープや、薄いウエハースのような生地の上に生ニンニクのスライスを載せ、ハチミツをかけて食べる「Vianocne Oblatky」などがクリスマスの定番だそうです。
クリスマスケーキは一般的ではないようで、クリスマスのスイーツはジンジャーブレッドやクッキーなどの焼き菓子だそうです。私は友人の家族とクリスマスイブを過ごしたのですが、鯉の代わりに鮭のソテーを食べ、Vianocne Oblatky やジンジャーブレッドも食べました。私が過ごしてきた今までのクリスマスとは大きく異なり、非常に貴重な体験でした。
一方、正月は日本よりも重きが置かれておらず、伝統的な料理や風習もあまりないようです。ただ、大晦日から新年になる時にカウントダウンや爆竹、打ち上げ花火などを行うようで、昨年はコロナの影響で大きなカウントダウンイベントは中止になってしまったのですが、個人で花火を打ち上げている人が沢山いて、夜中中花火の音がしていたのが印象的です。そもそも個人で打ち上げ花火をするということが日本ではないのでとても驚きました。また、スロバキアではクリスマスが家族と過ごすイベントであるのに対し、元日は友人や恋人とパーティーをして過ごす人が多いそうで、そこも日本と反対です。私も、日本人の知り合いの方のお宅で友人と飲み会に参加し、カウントダウンをした後は近くの公園で、公園に集まっていたスロバキア人たちと会話を楽しみました。


クリスマスツリーとキリスト生誕の場面の像

友人宅でのクリスマスイブ



〈物〉
スロバキアと日本を比べると、日本には便利グッズや折りたためる商品や、小分けサイズなど様々なニーズを満たす商品が多いように感じます。スーパーでは肉などは大容量のものが多く、一人だと冷凍しなければ使い切ることができません。またアイスも棒アイスは小売りされているのですがカップの小さいサイズなどは見かけず、大体は400mlぐらいの大きなカップに入ったものや箱入りのファミリーパックなどです。ドラッグストアなどでも日本に比べるとサイズ展開などが少ない印象です。雑貨店や大型家具店などでも日本のような痒いところに手が届く商品や、折りたたんで持ち運べたり、コードレスだったりする便利グッズには出会ったことがありません。
渡航前はスロバキアは日本よりも物価が安いというイメージがあったのですが、実際はそうでもないという印象です。チェーン店のマクドナルドなどは日本より金額が高いです。ドラッグストアの商品や、洋服なども日本と同じくらいの金額です。洋服はブランドによっては日本よりも高い所も、安い所もあるのでなるべく日本よりも安いブランドで買うようにしています。一番、驚いたのは生活雑貨の支出です。日本では100 円ショップや300 円ショップ、コンビニであらゆる雑貨や小物が手に入りますが、スロバキアではそういった店はあまりありません。日本の100円ショップにありそうな商品に対して300 円以上、物によっては1000 円くらい払うので生活雑貨には割とお金がかかります。
〈駅〉
友人の家に行く際などに電車に乗ったのですが、改札がないことに驚きました。日本では改札に切符を通してから乗車しますが、スロバキアでは切符を購入した後、そのまま乗車し、車内で係員が切符を専用の機械で読み取っていました。また、駅のトイレには係の人がいて料金を支払わなければ利用できません。多目的トイレは利用資格(障害者手帳など)を駅の職員に提示し、鍵を借りて利用するようです。トイレを使うために料金を支払うというのは日本ではあり得ないため本当に驚きました。


駅のトイレ



〈健康〉
スロバキアでは日本に比べてヴィーガン向けの商品が多く、オートミールやアーモンドミルクなどの日本でも話題の健康食品が手に入りやすいです。ジムに通う人も多く、健康に気を遣っている人が多い印象がある一方、喫煙者が日本に比べて多いです。よく道ばたに吸い殻が落ちていますし、大学の校舎の近くでも喫煙している人をよく見かけました。友人や知り合いでも喫煙者は何人かいます。
コロナのワクチン接種などにも意識の差があります。日本は接種開始こそ、他国に比べて遅かったですが接種率は非常に高いです。スロバキアは宗教上の理由や、ワクチン懐疑論を信じている人も多く、接種がなかなか進んでいません。ブラチスラバは高い方ですが、地方の接種率がとても低いそうです。スロバキアでは国の方針で、ワクチン証明書がないと飲食店やショッピングモールの店舗に入ることができません。それでも打たない人や、他人のワクチンパスポートを使用する人も多くいます。ワクチンの接種率だけが要因ではありませんが、ロックダウンが実質的に解除された今も感染者は増え続け、最近も過去最多を更新しました。

【現地での生活環境・街並み等】
私が生活しているブラチスラバはスロバキアの首都で、オーストリアの首都ウィーンのすぐ隣に位置します。そのためバスや電車で1 時間30 分程度でウィーンに遊びに行くことができます。また、チェコやハンガリーも近くバスや電車で3~5 時間ほどで行くことができます。日本では未だにチェコスロバキアと認識している人も多いですが、実は首都のブラチスラバはウィーンの方が近く、歴史的にはハンガリー王国の首都だった時期もあります。ブラチスラバを象徴するブラチスラバ城はマリー・アントワネットの母親であるマリー・テレジアがオーストリア帝国とハンガリー王国の女王となった際にこの城を改装し、住んでいたこともあるそうです。
街並みは、場所によって異なりますが、旧市街は石畳で中世ヨーロッパのような街並みが特徴的です。旧市街の広場には噴水や大きな時計が特徴の教会があります。教会の隣の建物は現在は美術館になっているのですが、屋根の装飾がとてもメルヘンチックでかわいらしいです。この広場には様々な銅像やモダーンアートのオブジェなどもあります。広場以外でも旧市街には、「Čumil」として有名なマンホールおじさんの像などちょっとしたアートな場所がいくつかあります。日本大使館はその広場にあるため、スロバキア人からも「良い場所にあるよね」と言われています。例年、クリスマスが近くなるとこの広場でクリスマスマーケットが開催されるのですが、一昨年と昨年はコロナウイルスの影響で中止になってしまいました。昨年は直前まで開催される予定で準備も進んでいたのですが、大きなクリスマスツリーと小さな赤い屋根の小屋が展示されるだけになってしまいました。それでも、広場の近くのカフェやバーが店頭でパンチという果物やスパイスを入れたホットワインやコーヒー、軽食などを販売していたので、それを片手に散歩しながらクリスマスツリーを眺める市民が沢山居ました。私も友人に誘われて、ホットワインを飲みながら旧市街を散歩し、クリスマスツリーの前で写真を撮り、クリスマス気分を楽しみました。
ブラチスラバはスロバキアの首都なので一軒家よりも集合住宅が一般的ですが、地方に行くと静岡と同じように一軒家が建ち並んでいます。私が住んでいる周辺は旧市街から少し外れた所のためオフィスやマンションなどもありますが教会や古くからの建物も残っています。教会が非常に多く、旧市街などでは行く先々に教会があります。スロバキアはカトリックの国で、ブラチスラバはそれほどではないようですが、東部や北部などの田舎では敬虔な信者も多いそうです。
生活環境は、静岡のなかでも田舎で育ってきた私にとってはかなり便利で快適です。生活している寮の立地も良いですし、トラムという路面電車と市バスを使えば様々な所に行くことができます。私の最寄りのバス停は、トラムとバスの路線が多く、ほぼ時間通りに来るので移動が楽です。ブラチスラバにはショッピングモールが沢山あるので洋服や嗜好品の買い物もしやすいです。
また、私がスロバキアを留学先に選んだ理由の1 つでもあるのですが、治安がよく夜間に歩いていても危険な思いをしたことはありません。人も親切で優しい人が多いです。店員さんの中にはスロバキア語しか話せない人もいますが、なんとかこちらの要望に応えてくれようとしてくれますし、基本的に笑顔で接してくれます。


左)ブラチスラバ城の庭園  右)夜のブラチスラバ城


左)旧市街の広場のクリスマスツリー 右)人文学部、法学部のキャンパス


左)旧市街の入り口付近 右)Čumil 像


左)トラムと近所の教会 右)旧市街の自転車のオブジェ

【今後の課題】
今後の課題は主に3 点です。まずは、英語を話す機会が少ないということです。コロナの影響で冬学期は学校の寮に入居できなかったり、授業が全てオンラインになってしまったり、イレギュラーな状況が続いたことが主な原因ですが、もっと積極的に友人に声をかけて出かけたり、オンライン上で話す場を設けたり、自発的に動けば良かったという反省もあります。夏学期からは学校の寮に移るので、寮にいる学生に積極的に話しかけ、友人を作り、英語を話す機会を増やしていきたいと思います。次に、自分の伝えたいことを話すことに集中してしましい、相手の話を聞けていない時があることです。英語を話すのに精一杯で何を話そうか、どうやって言おうかなどと考えていると、相手の話の内容をしっかり聞けていなかったということがあります。そのほかにも、単語が聞き取れなかったり、表現がよく分からなかったりしたときに、笑ってごまかしてしまったり、的外れな回答をしてしまったりしたことがありました。これでは会話とは言えないですし、相手にも失礼だと思うので改善していきたいと思います。相手の話の内容や質問が分からなかったら正直に聞き、曖昧な返事や態度をしないことを心がけたいです。また、基本的にリスニング力が足りていないと思うのでリスニングの勉強をしたり、会話の量を増やしたりして今まで以上に耳を英語に慣らしていくことに力を入れたいです。3 点目は、卒業研究に関連する資料や情報をあまり集められていない点です。私は、4 年生の後期から留学に来たため帰国した
らすぐに卒業論文に取りかからなければいけません。テーマや方向性は4 年生の前期の時点で決まっており、留学先でも情報収集に取り組みたいと思っていたのですが、冬学期はその目標を達成できませんでした。夏学期は、こちらの大学での勉強に加え、帰国後の卒業研究を見据えて文献や、情報の収集などにも取り組んでいきます。


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